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最高最善の枠を広げてみる(2)

昨日はお金の思考を例にとって

「最高最善の枠を広げる」

という話をしました

今日は、同じコマンドをしても、人によってこんなに違うという例を紹介しますね

昨日は例え話でしたが、これは実話ですよ~
(細かいとこは忘れちゃったので、だいたいこんな感じってことで・・・)

 

Aさん、Bさん、二人が同じコマンドをしました

「創造主、今日帰りの電車で座らせなさい 最高最善にできました」

すると・・・

Aさんは無事座れました

ところがBさんは席が空いたけども、お年寄りからの座りたい目線を感じ席を譲ることになりました

しばらくすると、今度は目の前の席が二つ空きました

今度こそ、と思ったのですがまたしても、二人のお年寄りが来たので座ることができませんでした

 

さて、この二人の差はなんでしょう?

Bさんには、疲れている自分がラクするよりも

「席を譲ることで人に対して良いことをした、感謝されることをした」

と思いつきました

そんな思考を持ってることに、ガックリ

Bさん本人は顕在意識では

「私も座りた~い」と本気で思ってるのに・・・

Aさんは、人へのボランティアなどは自らすすんで行なっている人です

でも電車では、その後何度もラクに座れています

Aさんの近くにはお年寄りや具合の悪そうな人は寄ってきません

席を譲ってくれることもあるそうです

「電車で座席に座る」 という行動に関する思考として、

  • Aさんは自分が望んだ時に、人助けをし感謝をされているのです
  • Aさんは自分が望んでいない時(自分が座りたい、が優先)は、人助けをし感謝をされる機会は訪れません
  • Bさんも自分が望んだ時に、人助けをし感謝をされています
  • Bさんは自分が望んでいない時(自分が座りたい、が優先)にも、人助けをし感謝をされる機会が訪れてしまっているのです

少しの差ですが、結果は大違いです

どちらが良いとか悪いとかではありませんよ

Aさん、Bさん、どっちになりたいですか?というお話です

Aさんは

「ラッキー

とルンルンで座る

Bさんは

「Aさんみたいに、座りたい

と思っています

あなたはどちらになりたいですか?(私はAさん派です)

Aさんみたいになりたかったら、

  • 自分が望んだ時に、人助けをし感謝をされる

という思考にしておきましょうね

「電車で座りたいのに、なかなか座れな~い」

という人にありがちな思考は・・・

  • 私には座る資格がない
  • いくら疲れていても身体が丈夫な私は、座ってはいけない
  • いくら疲れていても若い私は、座ってはいけない
  • どんな時でも、人に感謝されたい
  • 自分を犠牲にしてまでも、人助けをするべき
  • 自分が先にラクするよりも、まずは他人から 自分は後回し
  • 座ったら、お年寄りになる

チェックしてみてね

思考を外すかどうするかは、あなた次第

(注)座るコマンドをする時は、本気で座る決意を持って

 

では今日も人生&シータヒーリングを楽しみましょう

PUKUPUKU~シータヒーリング&算命学鑑定&レイキヒーリング~ 武井亜矢子