昨日はお金の思考を例にとって
という話をしました
今日は、同じコマンドをしても、人によってこんなに違うという例を紹介しますね
昨日は例え話でしたが、これは実話ですよ~
(細かいとこは忘れちゃったので、だいたいこんな感じってことで・・・)
Aさん、Bさん、二人が同じコマンドをしました
「創造主、今日帰りの電車で座らせなさい 最高最善にできました」
すると・・・
Aさんは無事座れました
ところがBさんは席が空いたけども、お年寄りからの座りたい目線を感じ席を譲ることになりました
しばらくすると、今度は目の前の席が二つ空きました
今度こそ、と思ったのですがまたしても、二人のお年寄りが来たので座ることができませんでした
さて、この二人の差はなんでしょう?
Bさんには、疲れている自分がラクするよりも
「席を譲ることで人に対して良いことをした、感謝されることをした」
と思いつきました
そんな思考を持ってることに、ガックリ
Bさん本人は顕在意識では
「私も座りた~い」と本気で思ってるのに・・・
Aさんは、人へのボランティアなどは自らすすんで行なっている人です
でも電車では、その後何度もラクに座れています
Aさんの近くにはお年寄りや具合の悪そうな人は寄ってきません
席を譲ってくれることもあるそうです
「電車で座席に座る」 という行動に関する思考として、
- Aさんは自分が望んだ時に、人助けをし感謝をされているのです
- Aさんは自分が望んでいない時(自分が座りたい、が優先)は、人助けをし感謝をされる機会は訪れません
- Bさんも自分が望んだ時に、人助けをし感謝をされています
- Bさんは自分が望んでいない時(自分が座りたい、が優先)にも、人助けをし感謝をされる機会が訪れてしまっているのです
少しの差ですが、結果は大違いです
どちらが良いとか悪いとかではありませんよ
Aさん、Bさん、どっちになりたいですか?というお話です
Aさんは
「ラッキー」
とルンルンで座る
Bさんは
「Aさんみたいに、座りたい」
と思っています
あなたはどちらになりたいですか?(私はAさん派です)
Aさんみたいになりたかったら、
- 自分が望んだ時に、人助けをし感謝をされる
という思考にしておきましょうね
「電車で座りたいのに、なかなか座れな~い」
という人にありがちな思考は・・・
- 私には座る資格がない
- いくら疲れていても身体が丈夫な私は、座ってはいけない
- いくら疲れていても若い私は、座ってはいけない
- どんな時でも、人に感謝されたい
- 自分を犠牲にしてまでも、人助けをするべき
- 自分が先にラクするよりも、まずは他人から 自分は後回し
- 座ったら、お年寄りになる
チェックしてみてね
思考を外すかどうするかは、あなた次第
(注)座るコマンドをする時は、本気で座る決意を持って
では今日も人生&シータヒーリングを楽しみましょう
PUKUPUKU~シータヒーリング&算命学鑑定&レイキヒーリング~ 武井亜矢子