以前・・・2013年11月のこと 4年前ですね
大阪でシータヒーリングのアナトミーセミナーを開催した時
おじーちゃん:母方の父方のルーツ探りをしたんですよ
⇒わたしのルーツ:大阪編(1)~(5)
その続きがあって、その3年後
今度はおばーちゃん:母方の母方のルーツ
2016年11月に山口県へ母の生まれた育ったとこを
家族3人:わたし、母、妹とで行ってきたのです
⇒遊びへの欲求
行ってくるね宣言だけして
この時の様子をブログに書けなくてねぇ
気が乗らない乗らない・・・
そして約1年たった今なぜか書きだすっていうね
場所は山口県熊毛郡上関町
島です
現在は橋がかかってるので
本土から車で行ける
知らなかったけど
1974年のNHK連続テレビ小説『鳩子の海』の舞台だったとこ
目指すは母の記憶にある上関町町役場
ここを起点とすれば家まで行けるはずって言うの
55年前の記憶を呼び覚ます~
これが町役場でした
古い建物で、写真ではわかりづらいけど
いい味でてる
さて、着いたはいいが
『こんなんだっけ?』
母の記憶が戻らず(笑)
少しふらふらしよーかって
近所を歩いてみた
過疎化っていうの?
人が全然いなくてね
家はあるけど、ほとんど空き家で
寂しい感じがする町並み
やっと人を見つけて声をかけてみた
母『わたし子供の頃この辺りに住んでて・・・』
って自己紹介しつつ立ち話をしたら
通行人『えっ 原さん?(母の旧姓)』
なんと小学校の同級生だったのです!
母はその人のことをあんまり覚えてなかったけど
あちらがしっかり覚えてて
母が住んでいた場所を教えてくれたのです
町役場の前の駐車場の脇をまっすぐ行き
この細道を入って
奥の階段を登って右へ
この石段を登った左手が住んでた場所
草ぼーぼーの空き地にでた
奥に並んで見える石はお墓
母はお寺に住んでいたのでした
もう管理する住職さんがいなくて
お寺がなくなってるのは聞いていた
一番右側にある縦長の丸い石がうちの墓石
阿川家の墓
祖母の旧姓は阿川
結婚して原になった
中身はもう埼玉に移動させてあるので
石だけが残ってる状態
ちょっと感動・・・
ふっる~い写真で見たことがあったのね
かわいいお墓だなぁと
墓石はもうないって聞いてたから驚いた
あるじゃん!放置しただけじゃん!
そしてわたし達も放置していく~
・・・どうなるんだろ?
阿川家:ひーおじーちゃんは山口県の徳山にあった金剛寺の住職
当時は比較的裕福なお寺で、子供全員を東京の学校に出した
おばーちゃんのお兄さん:阿川徹生(てっしょう)は
当時わりと知れた絵描きさんで
芸大の学長になり損ねたって話をよく聞いていた
有名な画家の佐伯祐三さんと友達だった徹生さん
その縁でおばーちゃんは佐伯家の幼稚園で働くことになったりね
徹生さんの絵はうちに飾ってある
ほんわり優しい絵
初代の不二家のペコちゃんのデザインを描いた人で
なぜかデザイン画がうちにある
母はここに来たら絶対感傷的になって
大泣きすると思ってたんだって
実際には・・・まーったく
涙なんて出やしないって(笑)
あっけない感じで終わったよう
辛かった時代だから
思い出すのも嫌で・・・
でも育った場所だから恋しくて
来るまで55年かかっちゃったよって
わたしが
『生きてるうちに来れて良かったねー また来ようねー』
って言ったら
『なんでまた来るの?もういいわよ』
とほざく あ、そーですか
久しぶりにいま
母にまた聞いてみたのね
私『山口にまた行かないの?』
母『なんで行くの?もういいわよ 暖かくなったら山形の水族館に行きたいわー』
完全に未練はなくなったようで・・・
もし生まれ育ったとこにもう一度行きたいって
いつも言ってるご両親がいたら
とっとと連れて行くといいよ
全部手配して送り出す
宿泊っていうと大事に捉える人なら、遠くても日帰りで
母は山口-神奈川を日帰りしたよ
それでも大満足してた
わたしと妹は残って観光したけどね
これで母方ルーツ巡りは終了
その他の山口旅行記は
これからアメブロに書いていくけど
第一弾は絶品ふぐのコースネタ
で、父方ルーツは?母方ルーツだけ巡ったよね?
まだ書いてない父方のルーツはというと
探りにくい 非常に探りにくい
戦前までは大地主だったけど
戦後の農地改革でほとんど取り上げられたって聞いてる
場所はいま住んでる海老名なんだけど
父、祖母、祖父は亡くなっている
残ってる情報源は父の兄弟姉妹
でも親戚関係は絶縁状態だから
聞く機会があればって感じになるね
そして母方の家系図を残しておこうとしたら
そのメモ書きを紛失
見つかったら追記するけど一応未完成の相関図
家系相関図作成はかなり楽しい♡